もう一つの仏教学・禅学

新大乗ー本来の仏教を考える会

    

推薦図書

平川彰「法と縁起」春秋社、1988年

 原始仏教における法(ダルマ)と縁起は、どういう意味を持っていたかが、詳細に論じられている。本来の仏教とは、苦からの解脱をめざす実践的なものであるということをあきらかにすることを研究するには、必読の書である。本書によれば、仏教の真理といわれる法と縁起は、種々の意味があって、「仏教とは、十二縁起を思惟することである」という説は、多くの経典の言葉のうちの一つの説を絶対とする偏見であることがわかる。
 釈尊は、成道の後に十二縁起を観じたという経典もある(285頁、437、439)。このことは、十二縁起についていうと、釈尊の場合、禅でいう悟りのような宗教経験が先にあって、その経験を意識によって反省評価してみて、苦の原因が無明(すなわち成道体験によってわかる、苦のない、無我の自己の真実を知らないこと)にあること、苦から解脱するには無明を滅すればよいということがわかったという意味である。苦がない、我(自我、霊魂)がない、という宗教経験をするということは、十二縁起を意識によって思惟することではない、そういう意味になる経典もある。
 十二縁起の重要な意味は、苦の原因が無明にあることの発見であって(465頁、470)、苦の原因の発見のみ、十二縁起を思惟することのみによっては、無明は滅しないし、苦は滅しない。釈尊が「われによりて証得せられたこの法は、ーーー思惟の領域を超え、−−」(513頁)といった経典もあるとされる。
 「一切行無常の認識は、精神を集中した深い禅定においてのみ可能であると思われる。」(387頁)
 「般若は無我の認識であり、立場を持たない認識であるので、執着のない認識である。ーーー般若のように自我意識と共動しない知的活動は、掴み難い。それは、自己反省によっても明らかでない。」(388頁)
 「ともかく織は、直接に事実の世界を理解する力のないものであり、したがってつねに、般若の助けをかりて、般若い照らされて活動することが要求されるのである。」(399頁)

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